採択団体訪問:神戸レインボーフェスタ実行委員会

神戸レインボーフェスタ実行委員会の新井様と田辺様にお話を伺いました。

――まずはお二人の自己紹介をお願いします

新井「新井 智尊、43歳です。私自身のセクシャリティはゲイです。もともとは教育関係の会社を経営しておりました。4年前に同性同士の結婚相談所で田辺と知り合って、2020年のちょうどいまくらいに知り合って、お付き合いをして4年になります。」

田辺「田辺義宗、38歳です。僕はもともと看護師として働いていて、大学病院の救命救急で働きその後訪問看護に進み、10年ほど看護師として働いていました。」

お二人は、2021年の10月に尼崎市で同性パートナーシップを結んでおられます。いわゆる同性同士の夫夫(ふうふ)です。同年3月に神戸市中央区に事務所を借り、同性同士の結婚相談所を立ち上げられました。

当時は、同性同士の結婚相談所が全国に2~3箇所しかなく、かつスタッフの皆さんは異性愛者の方ばかりで、当事者がスタッフをされている相談所は無かったそうです。そこで、LGBTの当事者であるお二人が設立することで、LGBTの皆様が利用しやすい相談所を作りたいと「ベストリアン」という相談所を立ち上げられました。

最初は、ゲイ専門の結婚相談所を運営なさっていましたが、2022年の3月以後はゲイ以外のセクシャリティの方々、レズビアンやトランスジェンダーの方も対象とした結婚相談所「ベストリアンプラス」も立ち上げ、それがお二人の本業となっています。

――その他はどのような活動をされているのでしょうか?

新井「2022年に関西テレビに取り上げていただく機会があり、その後NHK、サンテレビなど様々なメディアから取材を受けました。それがきっかけで、保険会社の方から連絡をいただき、お話を伺いたいと言われました。その時は、『同性カップルで保険に困っておられる方はいらっしゃいませんか?』というお話でした。確かにLGBTの当事者の方の中には、保険に加入することが難しく無保険の方が多いのです。保険に加入するとなると、自分のことを全てさらけ出さないといけない部分もありますし、不本意にカミングアウトしなければならない事態にもなります。私達は日ごろからLGBTの当事者の方のために何かお役に立てることをしたいと思っていたので、僕たちが保険代理店をすることはできないだろうかと相談しました。すると、保険会社の方が「やる気があって試験を受けていただければ手続きはできます」と言ってくださったので挑戦し、現在「ベストリアンライフ」という保険代理店もさせていただいています。

あとは個別で対応するベストリアンスペースを運営しています。ゆくゆくはコミュニティに行きたいけど、まだその自信がないという方もいますので、まずは僕たちと1対1で話してから、コミュニティに繋げるという主旨です」

――田辺さんの性自認についてお尋ねします。どのようなことがきっかけでご自身がゲイだと自覚されたのでしょうか?また当時の葛藤などございましたらお聞かせください。

田辺「僕にとって父と母が理想のパートナー像なんです。自身がゲイと自認したのが幼稚園の年長時、男性の教育実習生の着替えているところをたまたま見てしまい、その時はなぜかドキドキしてしまったんですね。たぶんそれが初恋でした。

しかし、それと同時に僕はすごく大きな病気になってしまったと思ったんですね。僕の家は家族でよく映画を観るのですが、たまたまゲイの方がアメリカの収容所に連れていかれてゲイというのは病気で、治すというストーリーのものを観ました。その時両親も悪気なくゲイに対して嫌悪感を抱くような言葉を発していたので、やはり病気なのだと僕自身思ってしまったんです。

僕は普通の恋愛ができない、お父さんお母さんのように、男性が女性を女性が男性を好きになるということができないんだ、なおかつ大きな病気になってしまってそれは両親を悲しませることになる、言ってしまったら入院させられるのではないかというものすごい恐怖心があって、絶対に言わないでおこう、僕は普通ではないんだと思っていていつか大人になったら治るだろうとも思っていたのですが、やはり小学校・中学校と上がっていくにつれて全然変わらなくて、結婚できないんだと諦めていました。

僕には中学生の時に親友の女の子がいましたが、その子に初めて自分はある男性の先生が好きで、そのことを打ち明けたときに女の子が「全然普通やん」って言ってくれたんですね。「私も部活とかしていて先輩に対してカッコいいなと思うこともあるから普通だ」と言われたときにすごくうれしかったんです。親にも言えないけどその親友にだけは言えて、なおかつ否定されなかったことが僕の中で心の救いになって今ここで生きていられるのも、その子がいたおかげで乗り越えられたのかなと思っています。」

ゲイに対する悩みや結婚できないことへの悩み・不安をずっと持ち続けておられた田辺さんでしたが、パートナーを探すために様々なアプリや掲示板を閲覧しました。ですが結局長続きせず、もう諦めて何年も彼氏を作らないという状況が続いていたそうです。

そんなとき、田辺さんのお父様が癌に侵されていることがわかりました。田辺さんは看護師さんですので、お父様のご希望もあり自宅での看取りの準備をなさっていましたが、お母様が「自宅での看取りは怖い」とおっしゃったそうです。実は田辺さんのお母様も看護師でいらっしゃいますので、田辺さんにとってお母様の言動は驚きだったようです。その時に初めて、母親はおかあさんではなく父を愛する一人の女性であったのだと、とても考えさせられたと言います。

田辺「そんな母をみていると、僕はゲイだからと諦めていたけどやっぱりパートナーが欲しいと思ったときに、男性同士の結婚相談所が大阪にOPENすることを知り、頑張ってやってみようと思い、入会した1回目のお見合い相手で新井と出会って今にいたります。」

互いに人生のパートナーと巡り合えたお二人。ところが、お二人にはゲイの友人が全くおられないそうで、LGBTに関わるコミュニティの存在もご存じなかったそうです。そのような状況下で、二人が出会えたということがとても嬉しかったそう。

そして、もしかすると諦めてしまっている人もいるのではないか、自分自身の性に対する悩みを親にも打ち明けられず悩んでいる人もきっとたくさんいるはず、だけど諦めなければ出会うこともできるのだと知って欲しくて、ベストリアンを立ち上げられました。

また、残念ながら自分の性自認について悩みを抱えこんでしまい、自ら命を絶つ方も少なくありません。そのような方の悩みを聞くことは当事者の生死にかかわることでもあるので、田辺さんは国家資格の公認心理士という資格を1年間勉強して取得。素晴らしいですね。

――では、今回開催された神戸レインボーフェスタについて教えて下さい。何をみれば開催についてわかりますか?

新井「instagramX(旧Twitter)ホームページも作っていますので、そのようなところで情報を見ていただく、今はそれが一番の情報源です」

――レインボーフェスタは神戸では昨年初めて開催されたとおっしゃっていましたが、各地で開催されているのですか?

新井「各地でレインボーフェスタやレインボープライドという名前で色々やっていて一番大きいところが東京ですね。東京レインボープライドが毎年3日間開催していて今年も来場者数27万人でした。東京は一番最初にパレードから始まって約30年くらい開催しています。関西は大阪が一番大きくて毎年10月に行われています。昨年も2日間で2万8千人くらいの来場者でした。あとは九州、とか地方で言えば山口、島根、浜松など色々なところで開催されていてとにかく全国各地に散らばっていてそれぞれ誰かがやっています」

――目的としてはLGBTQの方たちの存在というか個性を知っていただくということでしょうか?お店が出店されていたりもしますよね

新井「そうですね。一つのお祭りのような感じで、なるべく誰もが来てもらいやすいような雰囲気を作る、特に近年はそのような感じになっています」

――お二人が神戸レインボーフェスタの主催となられたきっかけを教えて下さい

新井「はじめは、昨年自分たちが運営しているベストリアンの2周年を祝って、何かイベントをしたいと考えていたのです。しかし、候補地のKIITOの会場を見学したときに僕の中でピンときたというか。神戸ではフェスタが無い、これはチャンスではないかと思いました。そこで、田辺に『ちょっとこれベストリアンのイベントとかでは無くてこの際だから神戸レインボーフェスタと銘打って今年からやっていかへんか?』と提案して。

ちょうどその頃ニュースでLGBTのことで総理大臣の秘書官が失言をしたニュースがながれていて色々と騒がれていた時でしたので、何か僕の中で直感なのですけど声を上げるなら今じゃないかというのがありました
そこでどうしても5月3日の憲法記念日にやりたいと思っていたのですが、やろうと決めたのもかなり急な話でした。既に2月の終わりごろになっていたので、バタバタでしたがなんとか開催しました。

それでも600人ほどの方にお集まりいただきました」

神戸という街は、兵庫県でも一番大きな街で、外国人の方との交流も盛んであり政令指定都市でもあります。しかし、お二人から非常に保守的な街であると教えていただきました。

神戸を、変えたい。

そんな強い思いから、神戸レインボーフェスタの開催を決意されたお二人。

1度開催して、ある程度認知してもらえて社会的責任も出てきました。

1回開催して終わりというわけにはいかず、2回目の開催を考えたときやはり必要なのは資金でした。

――基金に応募されたきっかけや想いをお話いただけますか?

新井「もし2年目も開催するとなったら少なくとも前回の来場者である600人は絶対に超えるくらいの人間は来るだろうということで、規模は広げないとあの狭さでは何かあっては困るし、規模を広げないとダメだという話は終わった直後からしていました。

規模を広げるのであればとりあえずKIITOのギャラリーAの横にあるホールも借り切って全部で行う。ところが規模を広げるとなるとそれ相応にお金もかかる、特に場所代がとにかくかかります。それ以外に経費も考えますと100万円を余裕で超えてしまうのです。

これはちょっとさすがに自分たちの持ち出しにも限界があるというところで、もしかしたらどこかで助成金を取れないだろうかと考えました。」

お二人は、助成金を獲得できるのはNPO法人しかダメだと思われていて、半分無理だと諦めておられたようです。しかし、インターネットで調べると任意の団体でも助成金を受け付けているところがあることを知りました。様々な条件を調べて、たどり着いたのがひょうごコミュニティ財団でした。

新井「ただ、コミュニティ財団が募集されておられる要項に、うちのようなフェスタが当てはまるかどうかがわからなくてとりあえず、財団にすぐ連絡させていただいて、僕たちのやろうとしていることが趣旨に当てはまるのかどうか聞きたいんですと言ったら、快く引き受けていただいて、お話をさせていただいたんです。」

お二人は、財団の職員が快く話を聞いてくれたこと、すごく良いことをされていますねと言って貰えたこと、保守的なこの神戸の街でちゃんと話を聞いてくれる人がいて、アドバイスをくれたり、初めて人に凄いと言われたことが本当に嬉しかった。申請が通るとか通らない以前に、自分たちの活動を認めてもらえたことが本当に嬉しかったと涙ながらに語ってくださいました。

――ひょうごコミュニティ財団が支援している基金は、市民の皆様の寄付で成り立っています。支援者の方に向けて何か一言お願いします。

新井「とにかくこの神戸レインボーフェスタを開催できたというところが、一番大きかったですね。それで今年は昨年を超えて1032名の方にお越しいただきましたので、やはりこのお金があったからこそ開催もできて一定程度周知もできた、広がったというところです。

何よりもLGBTの当事者の方で悩んでおられる方、苦しんでおられる方、特にカミングアウトせずに生きてこられている方が唯一神戸の1年に1回のその場所に来て本当に自分の思うままの姿でいれて誰の目も気にすることなく楽しめる、そういう空間をやはり作れたことは大きいと思います。

このような基金があったおかげで、安心できる場所が作れたということとその他にLGBTの当事者以外の方にも一定程度ご来場いただいてLGBTのことを知ってもらえたという、これはものすごく大きいですね。

中にはやはりLGBTのことをよくわかっていない人、もしかしたらちょっと偏見を持っていた人もいると思うんですね。でもいざあの会場に来てもらったらみんな全然普通じゃないかと、おもしろい、楽しいと思たという方も沢山いると思います。

今年は目玉としてウエディングファッションショーをさせていただいて、モデル14名のうち13名がLGBTの当事者だったんですね。ファッションショーを見た後にLGBTの当事者でない方々が「こんなに幸せそうなカップルが何故日本では結婚できないのだ?」と涙を流された方も沢山いらっしゃって、そういう方々にもLGBTという概念がいかに普通でだけど世の中ではちょっと弾かれているという現実を皆さんに知ってもらえたという効果はものすごいあったと思います。

だから、あのようなフェスタを毎年やることで少しずつでも偏見が溶けていったり正しいLGBTの知識を知っていただけるというその役にたっている、そのフェスタをやれたということがまさにそこに繋がっているのではないか。だから、お金がそのままそこに活きているというように僕たちは考えています」

――今後、どのような未来を理想とされていますか?

新井「LGBTというそんな言葉すら無くなって、当たり前のように子供たちの会話や大人たちの会話で【彼氏・彼女いるの?】とそういう聞き方ができる世の中に、それがもし同性のパートナーだったとしても、驚くことなく「わ!いいやんか」と言える世の中になる、街中でも同性同士でも平気で手を繋いで仲良く歩けるような時代、世界にしていきたいと思うので、皆さんにも知っていただいて引き続きご支援いただけたら嬉しいです」

田辺「支援者の方にも、今LGBTって10人に1人はいると言われていて左利きの方や眼鏡をかけている方と同じくらいの確率でクラスにもいるんですね。そう考えると支援者の方の家族の方の中や友人の中にももしかしたら言っていないだけでいる可能性があるんですね、なので、そういう方たちが神戸は住みにくくて、大阪の方がLGBTに理解があるので住みやすいから大阪に住みたいというのではなくて、神戸で生まれて育ったから神戸で住み続けたいと思ってもらえるような活動を続けて行きたいので、支援者の方からいただいたことはいつかそこに還元できる、すぐにはできないかもしれないけど、この活動を継続していくことでいつか繋がるのではないかなと思っていますので、是非支援の方を継続していただけたらありがたいなと思います」

新井「物事って〇っていう人もいれば絶対×という人もいて、それはもう仕方のないことなのですが、ただ間違った知識でそれを×だとして偏見や差別をしていいということにはなりません。×は×でもいいけど、そういう人たちが普通に「いる」ということは知っていただいて、でも×なら×で自分はもう関わらないよということで良いと思います。そこを偏見や差別で、攻撃することはないんです。ただ、正しい知識だけは〇だろうが×だろうが知っておいていただきたいという気持ちが僕たちにはあります。」

田辺「現場レベルで学校の先生は本当に板挟みになっているのだと思うのですね。生徒から言われて、父母から言われて、学校関係者からも言われてその中で、神戸で1年に1回神戸でレインボーフェスタをすることによってありのままの自分でいられる場所であったり、逃げ道がでれば、神戸で開催する意義があると思います」

――先ほど神戸が保守的だというのがあり、色々な局面で感じられていると思うのですが、主に行政面と一般市民の感覚と両方あると思うのですがどちらの面が強いと感じられますか?

田辺「神戸ではやっとパートナーシップ制度が導入されて兵庫県下でもパートナーシップ制度がやっと導入されたという状況ですが、当事者の声からすると聞くのがどこに相談していいのかわからない、誰に言えばいいかわからない行政でパートナーシップ制度があるのはわかっているがそのチラシはどこに置いてあるのかその窓口に相談したい時に、どういったところに相談できるのだろうかとか、それは誰がしているのか見えないレベルであったり、というのがあるのでせっかく良いものはできているけど当事者と繋がるパイプ役がなくてということを考えると、良いものを作っているけど当事者とのつながりがないので」

新井「神戸市の場合はもともとが保守的というところもあって、例えば神戸市の福祉局などの現場の職員の方々はLGBTのことを進めたいという思いが強いんですよね、でもそれの承認を得ようと思ったら上に上にいかないといけなくなる。それが今度は市長であったりとか、市議会とか政治家の方になってくるとガチガチに硬いのでなかなか現場の声と政治家との声が一致しないんです。」

――LGBTQという言葉が一般的になりつつあるわけですが、数年前はそのような言葉すらなかったですよね。発祥は海外だと思うのですが日本と海外と比べて違いはありますか?

新井「教育がまず日本の場合は追い付いていません。今でももちろん当事者を呼んで講演をしたりはしていますが、それでも年1回とかなのでもう少しジェンダーやマイノリティというところの授業の様なものを何かの科目の中にきちんと落とし込んで継続して子供たちに学ばせていくというところ。それでも日本はまぁ若者は寛容にはなってきていますけどね。そこがやはり遅いというところがありますし、結局国ごとにみていても、もちろん宗教上無理なところは仕方がないとして、アメリカなどでも進んでいる国などを見ていますと結局は政治がしっかりしているからきちんとそういう法律をたてて寄り添うことができているんですよね。

日本はどうしても保守色が強く今は特に政権を自民党が握っているので自民党自体がどうしても保守色の強いところ、選挙を意識しているので日本の場合なおさらですよね。だからこそLGBTに対して進みが遅い、鈍い、そこがまず海外と決定的に違うところです。困っている人に目を向けているようで実は自分たちの票を取るために支援者の方に目が向いているのが政治家だと思うのですよね。そこが圧倒的に海外と違うところです。」

――トランスジェンダーの方とかは医学的にも非常に難しい立場でいらっしゃるし、自分自身も戸惑うことがあるでしょうから、そのような人たちを守ってあげないとというような思いをすごく感じますね。そういう意味ではどうですか?ベストリアンプラスまで広げて自分たち以外の人たちも受け入れて話を聞いていこうという現場としては戸惑いとかもあるんですか?

新井「そうですね。僕らもまだまだ勉強しないといけないし、その反面ありがたいことに感謝してもらえたり、セクシャリティの違うトランスジェンダーの方に僕たちも支持をいただいたりとかしているので、戸惑いはありながらもここは挑戦していかないといけないなとそうでないと何も変わらないというのが僕たちの中にはあるのでわからないことは、素直に当事者の方に聞いて勉強させて頂く姿勢で取り組んでいくということです」

――究極は性別とかどうでもよくて、個人がどういう人かということが重要ですよね。皆さん個性の延長なので、でも実生活では皆さん住みにくさがあって、例えば左利きの人が色々なものを使うのに不便があるように、我慢すればいいだけの程度かもしれないけど、それぞれの人がそれぞれの立場でできるようなことになればいいですね

田辺「僕を救ってくれた親友の女の子のような方が今後も増えて行って欲しいなと思います。フェスタをしたときに親御さんを見たときにすごく感動して、子供たちがLGBTのイベントに何気なく参加していて、幼少期からこのような環境にいたら本当に違うだろうなと思いましたね。

あと、海外との違いという点でいえば外資系のホテルとか上司のBOSSが自分の性的マイノリティを公言している方が多いので、LGBT関係なく昇進したり大使館にいた人が、ゲイのカップルでいらっしゃったりしたので、それを見ると海外と日本って違うんだなと感じました。」

――今後もお二人の活動を楽しみに拝見させていただきます。今日はどうもありがとうございました