常総市のいま

認定NPO法人 茨城NPOセンター・コモンズ 代表理事 横田 能洋さんからの発信です。
なかなか報道されなくなった常総の様子や、今必要とされる支援をまとめています。ぜひご一読ください。

2015年11月10日現在

11月7日 JUNTOS!横田さんの取り組み
JUNTOS!の横田さんが関西のグループホームを見学に来られました。

午前中は、尼崎のグループハウス尼崎。ケア付き仮設住宅から発展した素晴らしい共同住宅です。自立が前提で入居者は自分の部屋で概ね自活しているが、共同生活の中での支え合いと、生活支援サービスも受けられる。ここで最期を見送られる人も多いそうです。

午後は、神戸市東灘区魚崎にあるNPO法人てみずの会のコレクティブハウジング「ココライフ魚崎」。4階建てのという構造もあって、少し「住宅」の色が濃いかもしれないが、介護度の高い人も多く、充実したサービスが提供されています。

両ホームともの共通点は「利用者にとって必要なサービス」ということをとことん中心において既存の制度もうまく活用しながら、そこからはみ出すことを躊躇しない点。
横田さんたちは被災者の孤立を懸念していて、阪神でのこういった先駆的な取り組みを学びたいというのが今回の目的です。
今回の見学を終えて「ぜひ参考にしたい!」と横田さん。今度は他の支援者や行政職員を連れて来たいとも仰っていました。

11月6日 水害から8週間
民家の片づけや泥かきの状況

まずボランティアですが、多くのボランティアを受け入れ、泥かきなどの活動にマッチングする役割は、市の社会福祉協議会が設立した災害ボランティアセンターが担ってきました。11月初めに、市内の個人住宅からの家財の取り出しや泥かきは概ね終わりました。けれども、空き家や避難先から戻れない人の民家の片付けが手付かずだったり、アパートや集会所など個人宅以外で片付けが終わっていないところも多くあります。田んぼに入ったゴミを、誰がどう取り出すかも課題で、これが進まないと農業再建が困難になります。田んぼの掃除ボランティアが動き出すと、また多くの人の協力が必要になりそうです。

コモンズの取り組み

コモンズは、県外から常総市に入った支援組織の連絡会を組織して、情報共有したり、今後必要と思われることをまとめて常総市に提案し(第1回提案書はこちらを参照)、自らも実行しています。もうすぐ2カ月になるので、それに併せて再度提案する準備をしています。

コモンズ常総事務所では、常総市に多く暮らしているブラジル人やフィリピンの人たちの就職支援や子どもの就学支援を5年前からしてきたので、被災者対象の重要な情報を、ポルトガル語や英語に翻訳して情報誌を出したり、災害FMラジオで流したり、通訳とともに個別相談に対応しています。

浸水で車を失った人もとても多いので、移動サービスや、複数の人で車を共有するカーシェアを導入し、普及しています。移動サービスでは、市の乗り合いタクシーでは対応できないような、子どもの学校への送迎、市外への通院、障がいがある方の送迎に日々ボランティアが交代であたっています。カーシェアは、既に避難所にいる方やブラジルの方に3台貸し出されています。これらは、行政が対応できないニーズに応えるために行っています(その他の活動については、こちらをご覧ください)。

在宅避難者の状況

コモンズ事務所の周辺は、3日間1メートルくらい水に浸かっていたので、多くの住宅が1階にあったものを全て廃棄し、床や壁、台所や風呂などを修理しないと住めない状況になりました。大工さんが見つからない、すぐに来てくれない、修理費用が払えるか見込みが立たないなど、様々な理由で修理が進んでいる家と進んでいない家の差が生じています。1階が工事中の家が多い地区は、住民があちこちに避難しています。1階の床がなく、台所も風呂場も使えない家の2階に暮している人の生活は、避難所よりも厳しい状況に置かれています。

コモンズは、このような在宅避難をしている人の状況を調べて行政に支援を求め、自らも食料や支援物資を届けたり、離れ離れになっている住民が再会して情報交換ができるサロンを各地で開きながら、住民の声を集める活動に注力しています。3日に相野谷地区で行った炊き出しでも、「久しぶりだね。どこに避難しているの?」と言った声が聞こえました。「鍋を持って来てください」と声をかけた時、「鍋もない」という方が多くいました。久しぶりに炊きたての米を食べた、という声もありました。自分も家で食事をしていなかったためか、久しぶりに美味しい米を食べました。

経済的なお悩み

床上浸水が1メートルを超えるかどうかで、罹災判定が大規模半壊か半壊に分かれることが多く、半壊となると、現状では数万円の見舞金しか得られません(注:県として半壊家庭にも一律25万円支給する補正予算案を準備中と6日に明らかに)。今回は半壊以上の被災世帯が多い一方、義援金があまり集まっておらず、配分しても十分な金額にはならないようです。これがかなり厳しい状況を生んでいます。

家具や家電、車などを買い直すだけでも大変な上に、持ち家の人はリフォームとその資金をどうするかで悩み、アパートにいた人は、市内では住める物件が限られています。このままでは、アパートを追われた人や避難所から家に戻れない人は、市外に流失してしまいます。既にかなりの人が市外へ住民票も移しています。

家に戻れない人を対象に県が用意したつくば市などにある旧公務員住宅は、遠い上に古く、転居を辞退する人が多い状況です。移った場合でも、移動の問題や孤独の問題に対応する必要があります。水海道とつくばを結ぶバスは少なく、電車があると言ってもかなりの時間とお金がかかります。常総と市外を行き来しなければならない人への交通費への支援が必要です。

たすけあいセンター「JUNTOS」では、引っ越しする方が必要とするものを届けながら、つながりを持とうとしています。つくばに移る方は自転車を希望する方が多いのですが、数が足りない状況です。

直さないといけない市内の自宅に留まる場合でも、家の財力の差や行政から得られる支援の差が、生活復旧の格差につながります。人が出て行ったアパートの修復が進まないと、人口が戻らないだけでなく、空家の増大、治安の悪化につながります。常総市内のアパートに戻る人への家賃補助、アパートの修復への支援(高齢者が住みやすくリフォームするのを支援する制度を援用するなど)することを市に提案していきたいと思います。

高齢世帯だけの家を自ら修復するのは大変です。その家をグループで暮らせる家として改装できれば、元の家に住み続けることもできるかもしれません。市内にある既存の不動産を活用して、サポート付き住宅をつくれば、避難所から出ていける先がない人の受け皿になるかもしれません。このようなことを、いろいろな人が集まって話せる場、復興のためのアイディアを出せる場や、様々な声、想いが伝わるメディアを作っていけたらと思います。

ご協力いただきたい活動

このような常総市で、生活困窮や格差が広がったり、住民がバラバラになるのを防ぐために、コモンズはたすけあいセンター「JUNTOS」(ポルトガル語で「一緒に」の意)を拠点に、地域の復興に取り組みます。

災害発生から2ヶ月になり、県外から来られた支援団体も戻る時期を迎える中で、ぜひとも茨城の市民団体、労働組合、個人の方に可能なかたちで支援していただきたいと思っています。今お願いしたいことは、炊き出しやサロンなどの交流イベントの運営補助、家のリフォームや引越しの補助、防寒器具や生活に必要な物資、食材を集めたり届ける活動、住民の声や必要な情報を集めて、情報誌にまとめたり発信する活動、移動サービスの車の運転などです。団体でも個人でも結構ですし、頻度は可能な範囲で構いません。できる活動でたすけあいセンター「JUNTOS」を通じて、常総の人々の生活の再建に関わっていただきたいと思います。

これらの事業を続けるために、拠点の維持費やコーディネートを担うスタッフの人件費、協力いただける団体の旅費、必要な物資を購入するための資金が必要なので、JUNTOS募金へのご支援もぜひお願いしたいと思います。

10月17日 水害から5週間
水害から5週間が過ぎました。今の常総の状況です。

水害発生直後は、鬼怒川の東側はかなりが水に浸かったわけですが、いつまで水に浸かっていたかと、堤防決壊現場との距離で状況が分かれています。2日くらいで水が引いたところで床上まで行かなかったところは、衣食住に関しては通常の生活に戻りつつあります。森下町も東側は4日くらい水に浸かっていたので、床を張り替えたり、壁も内側の断熱材が濡れている場合は、壁を数十センチ剥がすことになります。今、近所を回ると、床がなく、壁を剥がした家が多くあります。ここで困っているのは、注文が殺到して大工さんがなかなか来てもらえないこと。また剥がした床や壁、断熱材は産業廃棄物扱いとされ、市が回収してくれないこと。せっかくきれいにした庭や駐車場に、建築廃材と呼ばれるものが積まれています。決壊現場に近いところは、家が傾いていたり、土砂を取り除くのにまだまだ時間がかかりそうで、家に戻るのは困難な状況です。

さて、たすけあいセンター「Juntos」には連日たくさんの仲間が来ています。毎晩19時から開かれる常総市水害対応NPO連絡会議では、民家や農地の片付けに行っている片付けグループ、避難所を回っているグループ、市外から来られた炊き出しやマッサージなどのボランティアを調整するグループ、移動支援グループ、行政制度に関して働きかけているグループから報告があり、共有しています。先日は連絡会として市に具体的な提案を出し、それが一つ一つ動き出しています。

片付けグループは、以前は家から使えないものを出したり、市街地の道路に出ている災害ゴミの片付け対応が中心でしたが、市の集積所への持ち込みも2日前に終わり、今後は粗大ごみは市の回収を待つことになります。家の工事で出た廃材の持って行き場がなく、個人が産業廃棄物業者に頼むといっても、現実には難しいです。農家の納屋の片付け、事業者の倉庫の片付け、側溝の泥や藁の袋詰め、重機を使って流されたブロックなどを取り除く作業などが行われています。ここにはまだたくさんのボランティアが必要です。

避難所は、石下の総合体育館とあすなろの里の2つに集約されつつあり、昨日、ようやく、ようやく、おにぎりから弁当に変わったとのこと。NPOの働きかけで、身体の弱い方対象のスペースが確保され、布団も用意されるようになりました。看護師が夜いない、少数の保健師で200名近い避難者を見きれないなど、医療福祉系の人材が不足しています。環境が徐々に改善されたと言っても、避難所生活に疲れた人の中には、県が用意した公営住宅に移る人も出てきています。プライバシーが確保できることは良いのですが、離れた地域に行って孤立しないか心配です。支援が必要な方については、引っ越す前にNPO関係者が関係をつくれるようにしようとしています。引っ越すと子どもの通学距離が長くなります。通学用に自転車を届けるなどしていますが、数が足りません。

Juntos自体は、情報誌の発行(15号まで来ました)、他言語でのラジオ音源作成(3回目まで)、移動サービスの立ち上げなどに取り組んでいます。移動サービスは、通学・通院支援を中心に、昨日は28回の利用がありました。市のデマンド交通(乗り合いタクシー)は再開しましたが、市内限定で子どもや要介護者の利用が難しい面もあるため、それが対応できない移動ニーズに応えていきます。運転協力者の確保が急務です。2、3人のグループで車を共有するカーシェアリングも既に車はあり、利用したい人対象の説明会を行います。

在宅避難者の実態とニーズを明らかにするため、水海道森下町の床上浸水地区の訪問調査も行い、約100世帯の声を聞きました。風呂に入れない世帯が30、台所を使えない世帯が80もありました。そんな状況で、ほとんどの世帯が夜も過ごしています。避難所統合で家に通うのが遠くなったこと、空き巣が心配なことなど、理由はいろいろですが、はっきりしているのは、在宅での暮らしも避難所と同じように大変だということです。こうしたデータを市や県に示し、在宅避難者対象の定期的な炊き出しを市と協働で行うことになり、これからその準備です。炊き出しは、暖かい食事の提供と合わせて、家にこもりがちな人が集まって話をしたり、相談できる場にもしていきたいと思いますが、つくる人やつくる場の確保が課題です。ほとんどの公共施設が使えず、地元の人も自分の家以外のことに力を割ける人が限られています。協力いただける方を募っていきたいと思います。

罹災証明もやっと届くようになりました。被災者生活再建支援金は、大規模半壊以上(目安は床上1メートル)にしか出ないので、1メートル未満でも被害が大きいことを示し、何らかの救済が受けられるよう働きかけることが大きなテーマです。一次判定に不満な方が二次判定を受ける際など、特に外国人被災者の支援をしようと思います。市は昨日の市議会で半壊世帯への支援を打ち出しましたが、県にも半壊の世帯への独自支援実施を働きかけていきたいと思います。また床下だった人でも車を失った人は多くいます。コモンズもそうですが、事務所が損害を受けても、被災証明が受けられるだけ。何の支援もありません。

元々常総事務所で行っていた外国の子どもたち対象の学習支援も再開したいです。ただ今回の災害で学習用具や学習スペースを失ったり、家計が苦しくなった世帯が相当あると思います。国籍に関係なく、塾にも行けなくなったとか、学習環境が整わない子ども対象の学習支援もやっていかなければと思っています。学習支援にご協力いただける方も募りたいです。

このように、まだまだやることがたくさんあります。1日に3つくらい会議がある日もありますが、各地の支援センターの方や地元の主婦の方など、代わる代わる事務所に詰めてくださることで、なんとかJuntosは動いています。本当にありがたいです。支援物資を在宅避難者の世帯に届ける際の袋詰めとか、情報誌の配布とか、いろいろな活動があります。1日でも手伝いに来ていただけると、とても助かります。

最後になりましたが、呼びかけに応じてたくさんの寄付や物資、貴重な情報を頂いています。本当にありがとうございます。これらを役立てて、引き続き頑張りますので、今後もご支援よろしくお願いします。

10月4日 水害から3週間

災害発生から23日がすぎましたが、めまぐるしい日々が続いています。
県災害対策本部によると
■全壊50棟、大規模半壊1035棟(常総市88%)
■半壊にあたる床上浸水2801棟(常総市99%)、
■一部損壊7132棟(常総市6001棟)
とのこと。ただしこれは戸建てのみ。

やっと罹災証明の発行がはじまりました。先週から戸建てを対象にした応急修理と、家に住めない人への公営住宅の無償提供受付が始まりました。
昨日は私の住む森下町でおそらく2回目の炊き出し(三重県のいいのさんがきてくれました)があり、一軒一軒声をかけてまわりましたが、ほとんどがたたみや床をはがした状態で2階生活。おそらく風呂も台所での料理も困難な状態。車を失い火災保険も水害のため出ない、数100万の住宅修復に57万円程度の応急修理費ではとてもたりません。外国人の方が買って数カ月の家が床上浸水で400万の修理代がはらえないと連日駆け込んできます。生活再建支援法で全壊、大規模半壊には100万円、50万円の基礎支援金がでるようですが、半壊でも数100万の工事費は必要です。家の修復がしやすくなるようなんとかしたいです。そうでないとみな家を捨ててまちを出て行ってしまいかねません。
先週から市の会議のに同席できるようになり、こうした在宅避難者のことを考えてほしいと話しています。避難所統合で20近くあったところが市内は5か所くらいになり人数は減りました。それは町はずれの避難所では、通勤通学が困難なためでもあります。家に帰れたとしても上記のように食事もろくにつくれない生活をしている人が大量にいます。実質的な避難生活者はあまり減っていないと思います。
今回は市役所が水没、電源喪失し機能不全になったので対応の遅れを招きましたが現状の把握、災害救助法でできることの検討がとても不十分です。3週間たっても市内の避難所はおにぎり。市外の避難所ではお弁当がでているのに。在宅避難者は今月4日からそのようなものすら提供してくれなくなるそうです。避難所も食事だけでなく劣悪な状況がつづいています。避難所をまわるNPOの方の働きかけで少しずつ改善されてはいますが、体の弱った人が統合の際に体育館に入れられたり、風邪を引いた人は迷惑をかけたくないと、床下の泥かきがおわらずカビが大量発生している被災住宅に戻っているような状況です。避難所で夜間見守る保健師や看護師もたりません。

なんとか、本来なら使える制度を行政にもっと使ってもらい避難所や被災住宅で苦しい生活をおくっている人を救済してもらえるよう働き掛けようとしています。今日はそのための会合をもちます。地元の地域リーダー、jc、行政関係者にも声をかけ災害対策に詳しい方々に知恵をいただく会です。

コモンズは、もともとこの地域に多い外国児童生徒向けの学習支援をしていたビルが水没したのですが、今は1階が高圧洗浄機や荷車などの貸し出し機材倉庫、2階がボランティアの受付と情報提供拠点、3階が支援物資倉庫と簡易宿泊という状況で毎日全国からきていただいた応援スタッフで運営しています。平日がスタッフが少ないのが課題です。最近は軽トラックの貸し出しが増えました。ボランティアは、1階の濡れた家財道具を外にだす作業から床下の泥を取り出す作業、農地での作業、堤防決壊エリアで家が全壊した地域での重機もつかった砂の撤去作業に重点が移っていますが、全然足りていません。とりあえず通りや公園にあったゴミの山はなくなってきましたが、家の片づけをしている人はみな疲れています。住宅地での炊き出し、足湯、マッサージなどを増やしたいところです。こうした街中で避難しつつ片づけをしている人が地域で支えあえる状況をつくる活動にも力を入れようとしています。
そのひとつが街中の集会場所などでのサロン(炊き出し、相談、マッサージ、足湯等を行う)とカーシェアリングです。
昨日、石巻のカーシェアリング協会の方が来てくださり、やり方を教わり私自身が車を預かりました。社用車が2台なくなり、困っていたので本当にありがたいことです。
これからまちごとにカーシェアの拠点を増やしたいのですが、避難所には車を管理できる体制がつくれそうにないので、通学通院を中心に無料に近い形での送迎サービスを立ち上げることにしました。これも宮城や大阪の移動支援の方の協力によって可能になった事業です。
多言語の情報誌発行と多言語のラジオ放送も続けます。やることがどんどん増えます。毎晩、市内に入ってくださった20を超える全国の市民団体の方と、情報交換を行っていますがNPOのネットワーク力はすごいと改めて思います。様々な情報、知恵、支援が集まってきます。被災した市民が直面している状況は本当に深刻ですが、なんとか外部からきていただいた方の応援をてこにして、住民が必要とする助け合いサービスをつくったり、行政に提言していけるよう、コモンズは現地でのつなぎ役をしていきたいと思います。引き続きご支援をお願いします。

以下、今の時点でご協力いただけるとありがたいものを記します。

情報 これまでの災害(特に水害)の際の行政の柔軟な支援を引き出した事例●半壊でも生活再建支援金が出た事例(支援金も現金ででないと家具を買うお金がないです)
●在宅避難者が、被災者として物資、食事などの支援など行政から得られた事例
●具合がわるくなったときに、避難所や在宅からホテルなどに移れた事例
●おにぎりしかでない避難所の食事を途中から改善した事例
●数千万の機材を損失し事業再開が困難になた事業者の事業を支援した事例
●新築数カ月で床上浸水したが火災保険もでず修復費用も銀行から借りられないひとの改装費用を安くするか公的支援を増やす事例
●個人所有の田畑や土地に流れ着いた大きなゴミを公的費用で撤去した事例
●個人宅のこわれた塀を公的支援で運んでもらった事例
●公園や自治会資産である集会所の修復費用をねん出した事例
●ペットがいる方が無償提供の公営住宅に入れるようにした事例
●市民運営の移動サービスに対してガソリン代等が行政から支払われた事例
●フローリングの床をはがさずに床したの泥水をとり、カビ防止、白アリ対策に必要な処理をする方法をまとめた資料
●修復工事にかかる費用の妥当性がわからないときにどうすればいいか、に関する情報源や床上浸水住宅の修復の具体事例集
物資 毛布、シャンプーや石鹸など風呂用品、調味料、台所洗剤、カセットコンロ、なべ、キャンプのテントでつかうようなライト、様々なサイズの運動ぐつ、エコバック
食品 缶詰、お菓子、カップめん、ひもちがしてカセットコンロでちょうりできる食材、ビタミンや栄養補給ができるジェル状の食べ物、野菜ジュース、炊き出し用の食材
(コンビニやスーパーは再開しはじめましたが飲食店はどこも休業中ですし買い物にいく時間も足もお金も不十分なので、みなビタミン不足です。温かいもの、甘いものが食べたいです。昨日も昼間暑い日でしたがお汁粉やトン汁が喜ばれました。3週間たってもおにぎり、こんな生活状況なのです)
(物資や食材についてご協力いただける場合は数や保管場所の調整が必要になりますのでご一報ください。)
●家の修復、カビ防止やシロアリ対策について相談でしたり作業方法を教えてくれる人
●床したにもぐる作業ができる人
●火災保険や自動車保険など損害保険に詳しい方
●家の修復費用の見立てができる人
●サロン運営を手伝ってくれる方
●個人宅の掃除や片づけを手伝ってくれるボランティア
●移動サービスの運転ボランティアや運営スタッフ
●翻訳や通訳のスタッフ(ポルトガル語、英語、スペイン後、タガログ語、ウルドゥ語、中国語など)
●広報や寄付募集を手伝っていただける方
資金 義援金もあまり集まっていないようですのでお願いしたいです。
寄付:上記のような活動を1年以上続けて行うことになりそうですので、いばらき未来基金への寄付もお願いします。今後は移動支援、学習支援、情報支援など使途を選べるようにもしていきたいと思います。
その他 避難指示が解除され、まちのゴミが目立たなくなり一見落ち着いてきたように思われ、メディアでも取り上げられなくなりましたが、被災者の生活は楽になっていません。むしろ疲れがたまり、この先の心配で心身の悩みが深刻になっています。昨日あったそろばん塾の先生は個人事業主はつらい、片づけで腰がまがらなくなり掃除もできない、と漏らしていました。
この3週間、最初は水との戦い、次がゴミとの戦いでした。いまは孤独や喪失感との戦いです。みな被災地以外にいったり、職場にでたとき、あまりの感覚の違いにものすごく、取り残されている、忘れられていると感じています。忘れていない、いっしょに今後のことを考えている、ということが伝わるとみな明日に向かう勇気がでてくると思います。災害から1月をすぎたら何か皆が元気になれることもやっていきたいと思っています。

行政や制度は重要だしなんとかしてほしいですが、やはり市民社会をつくらないと生活や幸せを守れません。今20年前に阪神淡路でうまれようた様々な活動が、規模は小さいかもしれませんが、この常総市でうまれつつあるし、今なら市民が協力した活動、災害弱者を生まない行政や助け合いの仕組みをつくれる。今なら国籍の壁を越えたつながりがつくれる、そう信じて活動していこうと思います。

今後もご支援をお願いします。ありがとうございます。

9月24日
ようやく昨日、自宅の床下の泥を公務店が除去してくれて、風呂にも入れるようになった。今日で水害発生から2週間になる。毎日があっという間。できるだけ記録に残そうと、朝に周辺の写真を撮りながら自転車で見てまわる。何人かの方と会い、私たちが17日(木)に立ち上げた、たすけあいセンター「Juntos」で機材やボランティアの支援をしていることを伝える。

連休中は、実にたくさんの方が応援に来てくれた。高圧洗浄機など片付け用の物資を貸与する班、通信をつくり避難所などに届ける班、ボランティア希望者と来てほしいお宅のマッチングをする班ができ、それぞれが自主的にたすけあいセンター「Juntos」を運営している。外国の方、障がいのある方、高校生など多様な方がともに活動し、NPOらしい、コモンズらしい空間が生まれていた。日本NPOセンターの呼びかけで、新潟、岡山、広島、大阪、神戸、横浜など各地から来てくれた支援センターの仲間が、こうした場をつくってくれた。本当に感謝。事務所もボランティアの人を受け入れやすいように、毎日環境が整備されていく。

そんな中自分は、災害FMラジオで多言語放送を流すために、3日くらい費やした。被災証明と罹災証明の違い、廃車の手続き、ごみの出し方など、自分自身が知りたいことを調べ、原稿を書き、たまたま支援物資を配っている会場で出会ったブラジル人の方に協力を依頼して、翻訳をしてもらった。水海道で本当にがんばって仲間の支援をしているブラジル人の方に声を吹き込んでもらった。それが22日(火)の18時過ぎにラジオから聞こえたとき、うれしかった。情報の格差を埋めること、後で「しまった」ということにならないようにしたい。この音源をWebに載せれば、かなりのブラジルの方に伝わるはずだ。同じ内容でスペイン語や英語でもつくる。

(注)ここから視聴可能になりました。

そして2回目の内容も原稿を書く。罹災によって全壊や大きな被害を受けた人には、住宅の修理代が出る、ということで週末その説明会が開かれるが、その内容をわかりやすく伝える必要がある。持ち家でないといけない(コモンズ事務所は床上1メートルはあったはずだが対象外)。住民票がなかった人も住んでいた証明が必要になる。工事もどこまでが対象になるのか・・・。調べ、伝えるべきことはたくさんある。ラジオを聴いてもらえるようにするのも課題だ。

22日(火)は、ボランティアの方に『Juntos通信』を北水海道駅周辺のお宅にポスティングしていただいた。そのおかげか、夜に駅前で初めて行われた炊き出しには100名近い方が来てくれた。家族も中華丼をいただいた。お湯が出ず、2階で暮らしている方などは、暖かい料理をつくったり、食べることが難しい。お風呂に入りたい、という声も聞かれた。避難所だけでなく、家で不便な暮らしをしている人にも支援が届くようになってほしい。

支援物資が集まる体育館にも出向いた。服、タオル、ごみ袋、おむつ、マスク、毛布、携帯トイレ、ゴム手袋、洗剤などは多くあったが、台所で使うような日用品や掃除道具、ウェット・ティッシュ、ラジオ、水を入れる携帯できるタンクはやはりあまりなかった。これらを集めたり、購入して配りたい。会場でボランティアをしている人に聞くと、男性の靴がない、とのことだった。自分も靴下がなかったが、仲間が差し入れしてくれた。皆野菜を食べていないので、ビタミンになるものが必要だと思う。元同僚が届けてくれたキウイはおいしかった。あれほど減らなかった体重が5キロ近く減った。喜んで良いのか。

21日(月)は、かつての同僚が手伝いに来てくれた。その人たちや、神戸や広島から来てくれた仲間が、家の隣にある妻の実家の粗大ゴミの取り出しを手伝ってくれた。森下公園に持ち込むのは心が痛んだが、そうせざるを得なかった。

皆4カ所ある粗大ゴミの仮置き場に持って行くのが大変なので(搬入に時間がかかると聞いている)、公園や空き地が実質的に仮置き場になっている。ごみの回収は徐々に進み、きれいになった通りもあるが、未だに袋が山積みの通りも多い。埃や臭いが気になる。

避難所に関する動きがこの数日多かった。一気に浸水が広がり、市役所も水没と電源喪失でダメージを受け、対応が遅れてしまった避難所の環境改善が課題になっている。外部から入った団体のアドバイスもあったためか、知人のところは昨日は段ボール・ベッドになっていた。心配なのは、長引く避難所生活で体調を崩している方が少なくないことだ。ホテルを借り上げ、移れるようにするなどの対応もあって良いと思う。避難所間で生活環境や炊き出しの回数などもかなり差があるようで、連日行政の方々と県外から入られたNPO関係者で、避難所の方々のケアについて話している。

学校再開に伴い、統廃合が進むが、心配なことがある。お風呂があるなど環境が良い避難所に移れるのは良いが、そうすると家の片付けとか仕事に行くのが不便になる人がいる。統廃合とか借り上げ住宅を用意する際、多くの人が車をなくしているので、移動のことを考える必要がある。まだ家の片付けが終わっていない人がいるが、連休中も休めなかった人がいる。ブラジル人の方も、避難所から工場に通っている人が多いし、市役所の方々も自分の家の片付けになかなか戻れないようだ。

やはり圧倒的に人が足りない。市役所にはもっと市外からの応援がないと、ごみの処理も市役所機能の復旧も遅れてしまう。連休が終わり、ボランティアも減ってしまうが、まだまだ家の片付けは荷物を出したところ、というところが多い。畳を捨てた人は、地面を乾燥させている途中なので、家の掃除はこれからだ。家に戻れた人も、皆疲れている。事業者は個人宅と違って補償が少なく、途方に暮れている。それぞれの家によって悩みごとも違う。道路のごみがなくなったとしても、それは表面的なことで、課題は残る。失われたものが大きく、元の生活に戻るにはかなりの時間がかかるだろう。

継続してボランティアを派遣したり、様々な相談に乗れるようにするには、体制をつくる必要がある。今回県外から救援に入ってくださった団体も、徐々に離れることになる。高齢者世帯、母子世帯、障がいを持つお子さんのいる世帯、外国の方など、元々ハンディがあった方々が、災害でさらに厳しい状況に置かれている。子どもたちも不自由な環境で耐えている。

常総市に通って来られる範囲の方で、様々なニーズを持った人を個別に支えたり、住民同士が協力して立ち上がっていくのを側面的に支える、そういう活動をコモンズは増やし、コーディネートしていきたい。地域の課題を調べ、発信したり、応援したい人やグループとつないだり、本当に必要なものの購入や資金提供に寄付をつないだり、今後重要な情報が流れるようにしたい。

いばらき未来基金は、このようなときにコミュニティの課題解決を支えるためにつくった仕組みでもあります。これら拠点や活動支援の仕組みを動かしていくには、運営を手伝っていただける方が不可欠です。1日でも2日でも、運営スタッフとして来ていただけると本当に助かります。常総はまだまだ大変な状況です。ご支援をお願いします。

9月20日
2日前の夜、ポットで沸かしたお湯を入れたお風呂に入りました。水や電気は戻っても、室外機がやられ、エアコンとかボイラーが使えないところが多いと思います。あちこちに取り残されていた車が、駐車場などの場合はほとんどレッカーで移動になり、2日前から続々とコンビニが再開。昨日から新聞もきました。

その一方、クリーニングや飲食店をされていた自営業の方は、本当に深刻です。一昨日、朝に自転車で回った時に会った方も、数千万円の機材がだめになったそうで、こうした方々の事業再建は本当に大変だと思います。私が使っていたプリウスは修理でなんとかと思いましたが、あっさりと廃車と言われました。最後はキー・ボタンにも反応せず、悲しい別れでした。10日夜に郵便局方面を見に行った時に、水にはまり、必死に引き返してきたのですが・・・。その後、駐車場で水に浸かりました。森下町、橋本町、渕頭町など、新八間堀川付近の方は、急に増水して車を動かすことができませんでした。

18日(金)から毎朝、市内の様子を見ることを再開しました。18日(金)は自転車で相野谷(あいのや)、新井木(あらいぎ)、大生(おおの)を見てきました。水は引いていましたが、地区により浸水状況が違うことがわかりました。小貝川付近は水が来るまで時間があったようでしたが、土手の脇の道沿いにものが置かれていました。大生小前の通り沿いの家はかなり浸水したようで、たくさんのものが道に山積みでした。八間堀川が決壊したところから水が溢れたようで、田んぼ脇のフェンスが倒されていました。

19日(土)朝は、石下に向かってトラックで旧294号を北上しましたが、美妻(みつま)橋から北へは通行止めで、バイパスに迂回しましたが、お城の交差点の手前でやはり右折せざるを得ず、五箇地区をまわって戻りました。五箇地区の道にはあまりものは出ていませんでした。一方森下町、相野谷町などはまだまだ家の中から取り出しているところが多く、近所の森下公園にはフェンスごしにどんどんごみが入れられ、その量が増え続けています。

17日(木)から毎日、生まれ変わったコモンズ常総事務所で、『Juntos通信』を発行できるようになりました。災害FMラジオから流れる情報や新聞記事の中から紹介する情報を決めて、森下町で片付けの機材の貸出をしていることも紹介した通信です。最初は1日遅れで翻訳していたポルトガル語版も、3日目には同時に発行できるようになり、夕方手分けして水海道地区の避難所や市役所に届け初めました。電車が水海道まで来たとか、嬉しいニュースもあります。

まだ落ち着いて罹災証明など取りに行けません。保険会社の方にも来てもらわないといけないし、床下の泥をどうするのか、半壊とはどれくらいなのか、消毒はどうするのか、廃車手続きは、片付けが終わったとしても、やることはたくさんあります。水、電気が戻り、自宅に帰った方も森下地区では増えていますが、1階の床を乾かす段階で、2階に住んでいる方も不便だと思います。

昨日は物資が多く集まる市の体育館に初めて行きました。服やタオルなど、たくさんありました。仕事の帰りに立ち寄る方も多いようです。何が必要か見極めながら、コモンズとしても呼びかけたいと思います。

昨日神戸から、手回しで充電する携帯ラジオが届きました。これとマスク、ぞうきん、ウェット・ティッシュ、水を入れるポリタンクをセットにして、自宅に配りながらラジオ放送のことやJuntosでやっている機材貸出のことを伝えていこうと思います。蛇口が付いた軽い水タンクは給水の時も使えるし、家の外で片付けをする際にも手洗い水として使えるので、水が出た地域でも役立ちそうです。これら、必要なものを買ったりするためにもいばらき未来基金にご協力をいただければ幸いです。

今日も各地から応援に来てくれたスタッフやボランティアの皆さんと、Juntosを知ってもらい、仲間を増やす活動にがんばります。

9月16日 夜

電気と水が戻ったので、親戚宅に避難していた家族が家に帰ってきました。となりの妻の実家は1階が使えないので昼間は共同生活です。家のデスクでパソコンにlanにつないで作業できるようになりました。電気と水が使えるようになるのはすごい進歩です。ただ室外機の点検をしないとエコキュートとかエアコンはつかえるかわかりません。事務所もかなりの書類や機材は処分になりました。机とホワイトボードは高圧洗浄機で泥をおとして2階にあげ、2階が現地で必要な情報を収集編集して発信する拠点になるようになってきました。水海道地区にこられたいくつかのグループの方に、近所で片付けが大変なお宅のところに行っていただいたり、とどいた高圧洗浄機を貸し出しました。15日までは水が出なかったので、どこから水をもらってくるか,と話していましたが、水海道地区できいたところ,予想以上に早くみずが通ったので、洗浄機が役立ちそうです。火曜に比べれば,森下地区で片付け作業をするところは少なく、みな遠くの集積場にではなく近くの公園に持ち込んだためか道路渋滞も少し緩和されました。市内の一部の学校では登校がはじまりました。いくつかの学校の校長先生とも電話で話しました。まだ家に戻っていない子も多く欠席がおおいこと、教材などをなくした生徒もいるとのことで、そちらへのサポートについても相談していくことになりました。児童公園にものすごい量のゴミ(とはいいたくないですが)が山積みになっています。この3日でまちの風景がすっかりかわりました。
16日は事務所の片付け、人や物資の受け入れ、自宅への行き来で動きまわりましたが、水海道駅と守谷駅の間のバスが通ったこと(これでこどもも通学しやすなります)きぬ医師会病院の駐車場に臨時の診療所ができたことなど発見がありました。
家の中やまちを少しずつきれいにすることもしつつ、交通、医療、生活再建に関する制度、保険のことなど情報収集して、わかりやすい言葉で発信する事業を早く立ち上げたいと思います。
夕方、県外から常総市に入ってくださっている団体の方と顔合わせの会がもたれました。みなすばらしい方々でありがたいです。それぞれの動きを共有したり、各団体が現場で感じたニーズを生活改善につなげていければと思います。
人がつながればできることは増えます。16日も偶然水海道駅で県の国際交流協会の方々に会い、衛生に関する情報など他言語に翻訳された紙をいただきました。大事な情報を、わかりやすい日本語にして流す、そのための体制づくりが急務です。15日につながった通訳の方とは、ポルトガル語ではなせる弁護士の方にきてもらっての相談会を行おうと話しました。そのセッティングもしたい。これだけのことは一人ではできませんが、各県から支援センターの仲間もきてくれて支えてくれいます。感謝感謝です。
いばらき未来基金にご支援いただいている皆様にも心から、お礼申し上げます。水が電気が通っても失われたものの回復は容易ではありません。家がすめない状況になりお、親戚や友人宅,避難所に身を寄せている沢山の方々は、これから住まいをどうするか、自営業の方などは仕事を再建できるかどうかと、悩んでいます。心のケアも必要になります。長い期間の活動になりそうです。皆様のご支援を地域に役立てることができるようがんばりますのでよろしくお願いします。

9月16日

外国のこどもも学習教室だった1階は市内の人に貸し出す掃除道具の倉庫2階は、悩み事を集め、情報を整理し、翻訳も含め市内に発信するセンターと少しゆっくりできる場所、3階はコモンズや各種団体の事務所と簡易宿泊というようにします。

一昨日と昨日水がひいたところで一斉に家の中の家具から畳から外に書き出す作業が
行われ、家の前には袋が山住になっています。それらを持ち込む集積場が限られそこにとどけようとすると2,3時間かかる、という状況であいているところにごみがもちこまれています。市に担当課に伺うといずれ回収にまわるとのことなのですが、早くまわりを片づけたいという思いがあり、混乱しています。コモンズのものもどこにもっていくか、まだ軽トラがなく運べないこともありますが、市の指示も届かないので、近くに集積する場をつくり、できるだけはこびたししやすいようにものを分ける、生ごみは別のところにおきほかのものとまぜない、といったことをボランティアを一緒に広めていこうと思います。これままちの衛星環境を守るためにも必要です。
マスク、アルコールタオル、タオル、単三電池、ぞうきんのほかジェル状の消毒液、を多くくばりたいと思います。一昨日から災害FMが始まりました。ラジオもくばりつつ、情報発信の中に多言語の部分がはいるよう、通訳関係者で昨日ミーティングをしました。こうしたものを水戸のコモンズにおくっていだけると助かります。
被災証明をもらうとお金がもらえる、とか、誤った情報が広がらないよう、外国の方にも高齢者にもわかりやすい情報提供をする必要があります。今被災者の関心は、車の廃車はどうするのか、保険、保障はどうなるのか、といったことに移ってきています。汚れた水に触れたことで病気になるのでは、とかどのタイミングで消毒液を家にまけばいいのか、とか詳しい方に情報面で協力いただけると、こちらも適切な情報を流せます。おちついてきたら相談会も開きたいと思っています。今知りたい情報がなかなか得られない、ということがストレスになっています。このストレスが摩擦拡大にならないように、というところを一番注意しています。
コモンズは、生活再建に必要な情報、物資、道具を体協しながらニーズを集めるという活動をしようと思います。
これらをやるには、スタッフが必要です。応援しに来ていただける方はお知らせください。
また今日1日水海道でがんばります。

追伸 昨日自宅の水、電気がもどりました。

9月14日

先に結論をいうと、私が自転車や徒歩で何度か歩く中で、水位はかなりかわっています。今日5時半からあるいたら昨日の夕方膝まであった相野谷の真ん中も水がありませんでした。水は相野谷町東から新井木にかけたところにたまっているようで294バイパスを塞いでいます。
ここは自衛隊などが捜索をしているエリアです。
ここの水が抜けないと浄水器?がつかえないらしくしばらく水がでません。
停電も今日で5日目です。下記にありますように、一昨日に天満町や山田町、昨日に橋本町と森下町の水がひき、今日相野谷も家があるところは引くでしょう。
昨日は日曜日で避難している人も軽トラとかある人は、1階にあった家具とか三妻小や鬼怒中のグランドに持ち込んだようで昨日の時点でいっぱい。水海道地区の課題は処分するものの持って行き場の確保と早く水が出るようにすること、電気の復旧です。今日は守谷に近いポリテクセンターの前の空き地が集積場となると今放送が流れました。ただもう今日から仕事に行く人もいます。市内以外の周辺は普通の日常です。

昨日はだいぶ片付けの車が行き交いましたが今日かたづけする人は昨日ほとはいないでしょう。うちのとなりの妻の実家は昨日ぬれた畳を庭にだしましたが、まず1階のものを外にだし、ある程度地面がかわいてから消毒し、、冷蔵庫の中のものとかをゴミにだし、それから掃除となりそうです。妻の実家の例だと。みな、電気と水がくれば戻って作業したいと思っています。

コモンズ事務所は昨日夕方みにいったところほぼ壊滅でした。ここを火曜に片付け、水海道地区の掃除を地元中心で行うのをバックアップする拠点にしたいと思っています。

9月13日

朝、どれくらい水がひいたかみるが、森下の水はまだ残っていてまだ事務所にいく道は深い。北水海道駅の反対側の相野谷に自宅があるという方とあい、この辺の状況を話す。班長もしていて状況がどうしてみたいとのこと。その方の車にのせてもらい、鬼怒医師会病院の前まで一緒にいくが、まだ8時前で自衛隊もきていない。市役所にいく。市長さんにまちの状況を伝えつつ自衛隊にきくと今日から水没したままの地域のローラー作戦を自衛隊、消防、警察で分担して行うとのこと。その方のエリアは消防とのことで,消防担当の方に会い事情を話す。相野谷町も世帯数が多しなかなかどこがどうなっているかまでは聞かれても答えられないとのことだった。その方が自宅で仕事でつかっていたパソコンも持ち出せなかったとのこと。市役所から自宅まで送ってもらった際、私がサブでもっていたバイオをお貸しした。相野谷のことに詳しいこの方とは連携したい。

家に家族の避難先の親戚の人が迎えにきてくれたのでその家へ。風呂をかり、たまった洗濯物を預ける。義理の両親や子供たちも元気だ。安心する。こどもをどうつくばの高校へ通わせるか、私と妻と義理父の車をどうするか、床上に泥をかぶった妻の実家の片付けをどうするかなど30分くらい話し、また中妻へ送ってもらう。そして企画書をまとめる。

県外から新たに来られた方とも合い、ボランティアセンターにいた方に、水海道地区で、わたしが,社協のボランティアセンターとも連携しつつ水海道地区でやろう思うことやこれから集めたい資材について説明。

昼に自宅に送ってもらう。神戸の村井さんがきて下っていて、これまでの状況を説明。住民同士がともに活動したり、お茶を飲みながら話すのはいいよといわれほっとした。みながこのような災害でどれくらい保障がるののか考えていると思うし、森下や橋本は新築が増えていたから二重ローンの問題もあると相談したら詳しい弁護士の方を教えてくださった。地元の弁護士会などにも依頼して相談会をすればとのアドバイス。これも企画しよう。
ちょうどわたしたちが読みたい本と負けない像を一箱くださった。そのとき私の家族がとなりの妻の実家の畳を外に出しにきたので、村井さんたちも手伝ってくださった。本当に助かった。
さらに妻の父の車は庭に乗り上げてとめていたのでエンジンがかかった。畳と一部の家具がだめだが、どうせならフローリングにかえれば、ベットもおける。我が家にもハウスメーカーの方がくる。床下をみるところを教えてもらう。水がどれくらいのこっているかみてほしいとのこと。

みなが帰られ、メールを書こうとするがメインのパソコンがosトラブルで立ち上がらない、ノートのバイオが4つもあって、先に貸したのをのぞく3台があっても、どれもiphoneの無線LANにつながらない。編集用にかってあったmacでためしたらネットがみれた。でも5時近くなりそとをみにいこうと外出。すると朝あった水がない。自転車は2台ともパンクしたので、ゴミ袋と飲み物をバックに入れて背負い歩きでまちをみにいく。あう人にゴミ袋をわけ、ごみの回収のことをつたえる。まだ5箇所くらいしか人はきていなかった。作業した方は引きあげたようだ。コモンズ事務所前も水はなく入るといろいろなものがひっくりかえり、冷蔵庫が机の上、こどもたちのアフタースクールやサマースクールの教室がどろだらけ。沢山あった教材も日本語テキストも。進路ガイドもみな水につかった。奥のデスクもかったばかりのプリンターもパソコンもだめた。これまで5年間外国人支援でやってきた資料をまとめた箱の棚も半分以上のところまでぬれている。でもいい。これならやりなおせる。自宅の方にくらべればなんとでもなる。でもいつかここでこどもたちのスクールや僕が毎週行っていた日本語教室を再開したい。
相野谷も見に行かなければと線路を超えて入る。朝あった方の家を探すがなかなか見つからない。一通り歩くが、住宅地の真ん中が水が膝くらいまで残っている。奥の通りはとおれる。その先の田んぼ海。ここの水がひかないと、浄水場がうごかず、水がでない。日が落ちた。新井木までいき、借りていたコンテナ倉庫をあける。ここも水がはいったが、コモンズのファイルはまだいきている。ここにおいておいてよかった。橋本町の水もひいている。市役所へいき、避難所にいる近所の人のところへ。両親は家をみにいっているという娘さんに説明する。うちの子の同窓生だ。もう少しで家にいけると話す。広報課の知人に今日とった写真のデータを渡す。14日から災害fmを立ち上げるそうだ。ラジオがあれば、それをみなに渡して、それで細かい情報をどんどんながせるかもしれない。今日も無線でながれたのは、床上の人に消毒薬をくんばること、学校が水曜からはじまること、大型の処分したいものの持ち込み先はここ(既にいっぱい。,もって行き場が課題だ)、というくらい。もっと細かい情報を流すメディアがないと被災地の中では何もわからない。これもみなの悩みだ。fmがきけるラジオ,単3電池も沢山ほしい。私のもっていた手回し充電もできる小型ラジオを、諏訪に住んでいたというブラジルの方にわたしつつ、juntosプロジェクトのことを話す。もってきたドリンク材をわたし、がんばろうと話す。市民恊働課にもより、今回の災害でブラジル人と日本人の関係が悪くなる事態はさけよう。そのためにもjuntosのやり方でやりたいと話すと、理解してくれた。ありがたい。昨日に比べ、震災時にわたしたちが集めて、いわきにおくったような支援物資がだいぶ増えた。自分も被災者ということで、パンとかジュースをもらいバックにいれる。

この地区指定のもえるゴミ袋も大量に必要がだ市役所には在庫がない。多分周辺の店にもないだろう。困った。昨日から唯一あいているツルハドラックで業務用ゴミ袋を買う。先月まで毎週日本語を教えていたブラジル人の親子に合う。知人宅に避難しているそうだ。

もう8時だが、避難所をみておきたいので3月まで自分の子が通った水海道小学校へ。体育館の人はそれほど多くはなかった。ブラジルの知人家族が2組。家は大丈夫だったそうだ。職員室にいくと先生が二人泊まり込みとのこと。きいたら多いときは700名もいたそうだ。外部からものがこないから学校で炊き出しをしようと米をたいたそうだ。おにぎり1個の理由がわかった。先生方も自分のところもやられているのに、本当に頭が下がる。

コモンズのプロジェクトを話し、となりの福祉会館へ顔をだし社会福祉協議会の人と話す。しばらく電話が通じず大変だったようだ。14日からの社協の災害ボランティアセンターがうまくスタートしてほしい。一番こわいのはやっと水がひいて自宅にもどろうとしている水海道地区にボランティアの車が入り込んだり道をきいたり、そんなことにならないでほしい。守谷からならなら294で北上せず、玉台橋をわたり、鬼怒川の西を北上して三妻橋をわたって中妻にいってほしい。水海道の町中には絶対に入ってほしくない。これからボランンティアの体制をつくるので、まず市街をさけて中妻にいってほしい。これから車のレッカーとかするのに車が入ってくると道路が動かなくなる。自宅な悲惨な状況を見物しにきてほしくない。

結構おもい荷物をバックをもちながらまた徒歩でまっくらな道を帰る。やっと橋本町の橋がわたれた。水没していたいえいえの前に沢山のものがだされている。

家につく。でもやるべきことはみえた。

火曜にコモンズの掃除をして、掃除道具とか機材をいれる状況をととのえ、2階にスタッフルームをつくる。発電機と無線がつかえれば、ここを拠点に高圧洗浄機とか荷車とか軽トラとかあちこちにもっていける。月曜は火曜日に行うコモンズ事務所かたづけの準備をしよう。あとチームづくりだ。学校のニーズも急いで聞いてこよう。

とりあえずここまで。やるべきことは見えた気がする。

9月12日
自宅(水海道森下町)まわりの水位が下がっている。市内の状況を調べ写真に記録することを目標に、息子が以前通学につかっていた自転車にのって森下町、橋本町、新井木町、渕頭町、山田町、天満町、諏訪町そして市役所へいく。はちけんぼり川に近い橋本町、新井木町がかなり浸水している。

私の自宅はやや高いところにあり、市役所に方向に南下しようとするとゆるやかな下り坂になる。そして鬼怒川と小貝川をつないでいる新八間堀川(八件堀川とつながる川)に3本、橋がかかっているが、2本の道は橋の北が池のようになっていて進めない。橋本町でであったpta仲間によると、新八間堀川側に流す水路の排水溝がしまっていない状態で水位があがったため地下水路を通じて水が逆流し急に出てしまったようだ。もともと低い土地で地下から水があふれたまる。それゆえ避難する間もなく車や家(ひどいところは1階天井まで)水につかった。森下町で突然水が増えた原因はこれのようだが。その水を逃がすためにポンプで水を川にながしている。これでひくかどうか。

豊水橋につながる急354を超えて市役所に向かう。議事等が避難所になっていて森下町の知人にあい、さきほどとった写真をみせる。別のお年寄りに自分の家もとってきてと頼まれる。みな自宅の状況が一番知りたい。市役所をでて郵便局のある交差点を新井木方面に進む。きぬ医師会病院は中も泥だらけ。その先の新井木交差点は水没。

きぬ医師会病院の裏手に進むと相野谷町の東にある田が湖の様。その南にある新井木もかなり広く浸水し水面に家や浮かんでいる。今日もたくさんのヘリが上空にいて、自衛隊のボートが行方不明者を探している。

そんななか若いの男性二人にあう。家に残してきた犬を救うためサンダルで水に入ろうとしていたので止める。自衛隊の船着き場に行き住民をボートにのせて救助にいってもらえるよう頼んだ。それが許されたのに今度は若者がいない。仕方なく、堀にそってすすみ294バイパスに出る。新井木交差点は低地だが、294バイパスを渕頭あたりまで上ってくるとすでに水はない。大型スーパーの駐車場に他市派遣の給水車があり水をもらう。しかしだれもきていない。自転車水の袋をのせバイパス沿いを進む。山田町でブラジルの方の経営する床屋さんがあり、荷物がだされたいた。そこに水をおく。天満町、山田町も水がひいて間もないようで、帰って掃除をしている人はすくなかった。帰ってきた人に、給水車がきていることをつたえるとみな知らなかった。家を見てきてほしい人の家を探し写真をとり市役所の避難所にいくと、頼んだ人がいない。

入り口で、給水車の案内を市内に放送してほしいと窓口で話すとしばらくして流れる。午前中市役所の電源にトラブルがあったのか。市の宣伝車も水没し住民に伝える手段がないという、これが今回の災害を象徴している。

高いところにバックアップ施設や非常電源を持たないなかで想定していない堤防決壊と、中心部での水の急増による市役所の水没、これで電源や車をつかえなくなった市役所から十分な情報がでず、外部からも入れない状態、これが10日から12日目まで続いた。市役所で日本財団の方と合流、各地からきたボランティアが市役所の片付けをされていた。対策室にいき、市長に情報が市民に伝わりにくいので、こちらでも大事な情報を流したいと話すと、ぜひやってほしいとのこと。自転車なら自由に動ける自分が足で情報を集め、口で会う人に伝えるという原始的なことだがしないよりはいい。早速、自分も知りたいゴミの収集がどうなるか、など確認。市民活動課などによる。財団の方にのせていただき、常総市災害ボラティアセンターを準備している場へ。全国から応援にきていエキスパートの方、震災のとき以来の方と再会。ボランティアにどうセンターまできてもらうか、などを話す。

NGOの方に依頼していた水が出なくてもトイレがつかえるようにするセットが沢山届いた。ありがたい。これやマスク、ぞうきん、などを家に戻って作業する人にくばりながら、ニーズ集めをすることにしよう。

その後、再度市役所に忘れ物をとりにいき、今日とった写真データを広聴課に渡し守谷へ。

そこでコモンズスタッフ大野や日本NPOセンターの方と話し、スタッフ宅でシャワーをかりまた森下町へ送ってもらう。これで3泊目だ。だんだん生ゴミのにおいがしてくる。ゴミ出したい。

まちを歩くと、子供会やpta仲間にであう。車を何台もだめにした人、新築の家がどうなったか避難所で心配する人、防げた浸水だとおこる人、話をきくのがつらいが、知っている人だから、互いに困っているから話せることがある、と思う。泥が片付いたとしても、なんでこんな目にという心の傷は残る。それをいやすには仲間だと思える存在、関係が重要と思い、今後の活動のコンセプト、「誰かに助けてもらう」だけでなく「ともに助け合う」への想いが強まった。「一緒に」を意味するポルトガル語、juntosを合い言葉にしたい。

一気に趣旨書や必要機材リストを考える。

電気も水も休める家もない(避難所は電気、トイレ、食事はあるが狭いし気を使う。自宅は夜暗く寂しい、トイレが困る,その意味で車で早く親戚の人のところに行った人は衣食住の面はいいが、自宅や市の情報が得にくい。)

という生活状態と、大事にしていたものを失った悲しみ、これを多くの常総市民が今共有している。災害面ではピンチだか、バラバラだった地域の関係を変えられるチャンスだと考えたい。

9月12日 7時時点

9月12日。本当は今日は中学校の運動会だった。 でも町にいる人はごくわずか。

実際に電気もなく携帯もつながらず、車で動けず、食事も水やトイレも制約を受ける生活にいると、疲れが相当たまるのだと感じる。自分は家で布団で寝れるからいいが、体育館の人は相当きついと思う。昨日水海道の避難所にファーストフードの会社の炊き出しが入ったとか。みんなが暖かいものを食べられたことを祈る。

水海道地区は10日の夜から翌日にかけて急に増水して、何も持たずに避難所に来ている人が多いと思う。水が引くまで家にも数日は帰れない。避難所にいる間、炊き出しや足湯、マッサージとかがあったら少しは楽になるのではと思うが、今日確認しにいこう。

後はどのルートからまちに入ってもらうか、地図をつくらないと。市役所にも行かねば。

片付けるところは山ほどある。まず道路にたくさんの瓦礫やゴミがある。道路の真ん中にある車も移動させないと、他の車が通れない。

公共施設、特に病院や福祉施設、学校のニーズを調べようと思う。後は知人のブラジル関係のお店も手伝いたい。

個人宅、畳、濡れてダメになったもの、冷蔵庫の中のものなど大量に捨てるものが出てくる。それを入れる袋、雑巾、バケツが大量に必要になる。マスク、タオルや雑巾など募るかどうか、見極めよう。ゴミ袋は、行政の指定の袋以外でも良いのか、聞かないといけない。

断水なので、掃除するにも水を汲んでこないといけない。水汲み用のポリバケツと荷車もあると助かるだろう。

みな、家に戻り、大事なものが水に浸かった部屋でとても辛いだろう。自分も事務所の中がどうなっているか、これから外国人児童生徒の学習支援のためのアフター・スクールを再開しようとしていた時に、苦労して集めた教材がどうなっているか、と思うと不安だ。

ボランティアには大事なものを失った人の気持ちを察して活動してほしい。

幸い私は、水海道で子ども会、PTAの役員をしてきたので、いろいろな人と連絡が取れる。教育委員会や学校、市役所にも知人がいる。そしてブラジルやフィリピンの仲間もいる。この災害から立ち直るプロセスで、私がずっと模索してきたこの地に多い外国からきた住民と地元の人との協力関係をつくりたい。それがコモンズらしい活動にもなると思う。

知人から個別のニーズを聞くことで、社協などに集まるボランティアに活動先を紹介したり、上記のようなものをコモンズでも募り、集められれば、それをまわりの人に配りながら、さらにボランティアのニーズを聞きだすこともできるかもしれない。コモンズ事務所前の水が引けば、大家さんは2階、3階も貸してくれるというので、これらはできる。

あと、できればこれから1、2週間、いろいろなところにニーズを聞きに行き、人の送迎とか、炊き出しや足湯が必要な場合のコーディネート、資材や物資の運搬などを継続的にするチームをつくりたい。その中に、ブラジルやフィリピンコミュニティの人も入れたいが、この人たちは仕事の代わりに頼むので、お金を払い仕事として活動してほしい。そのためにもコモンズでも資金を集める必要がある。

携帯代、或は無線機、発電機、照明器具など物品費  30~50万
レンタカーか中古車を買うお金(軽トラも必要)  50~80万
運転手やチームに入る人に払う人件費  8千円×6人×20日 約100万
コモンズとして、各種手続き、保険加入、記録、発信、経理も増えるので、最低100万はいる、と考えると少なくとも300万、できれば500万くらいの資金を集めたい。

お金だけでなく、上記資材の購入手続きやセッティングを手伝ってくれる人、私がした電話の内容を発信してくれる人、各ポイントの写真をとってきたり、それをWEBに掲載してくれるような人もほしい。

もちろん、これについてやるかどうか、理事会の同意も得る必要がある。まず再度情報を集め計画を練る必要がある。

この地域を心配し応援したいといってくれる人のためにも、これまで共に地域で暮らしてきた仲間のためにも、どこまでできるかわからないが、やってみよう。

9月11日 22時時点

朝4時半の防災放送で起きる。窓枠の下とギリギリだった水位が少し減った。我が家はなんとか床上浸水を免れた。一日目、水が来ると思い、土嚢やシートを用意したことが良かった。トイレに防災用トイレのシートも設置(買っておいて良かった)。水槽の魚たちも無事、酸素もまだ持つ。

「道路の水が深く、車が動かないので」と、車を置き去りにし、急に泊めてほしいと来られた方と、一晩運命を共にした。彼のおかげで、玄関のブルーシート・バリケードもできたし、こちらも心強かった。その方が、職場である近くの病院に戻るとのことで、食料や少しの着替えと杖のような棒を渡し、通りまで見送る。その後、ボートに乗って無事に着いたとの電話で安堵。私が昨日の午前に診察を受けたその病院の1階上まで、今は水に浸かっている。

震災の時の停電の恐怖から衝動買いしたガスボンベ発電機を物置から取り出すが、水に濡れ、今日は動かせず。これが使えたら、夜でもどこでも、電気充電ができる(避難所とか、あちこちで携帯の充電に困っているだろう。発電鍋を買っておけばこういうときに役に立てたのに)。

隣の妻の実家は床上まで泥をかぶったが、朝には水が引いたので、早速父は床掃除。うちの方はソーラーパネル発電が動くか試すが、エラー。電話で操作を確認したら動いた。動いたぞ。昼間は電気が使える。これは心強い。

とにかく今日は真上に複数のヘリがいる。このあたりに取り残された人を早く運ぼうとしてくれているのだろう。それを無視するように家にいる罪悪感、なかなか水が引きそうにない中で、水が引かない可能性を考え、もう避難しましょうと親に話すとわかってくれた。ヘリを呼ぼうとしていたらボートが来たので、妻の両親と妻と娘を託す。

さて、意を決して、普段は徒歩1分のコモンズ常総事務所を見るため、水の中をゆっくり進む。しかし、ここはまだ道が深く、胸まで水が浸かりそうだった。今日はここまで、と引き返す。ドアの半分が水に浸かっているということは、かなり水が入っていそうだ。事務所に置いてある、外国人児童生徒のための教材が心配だ。昨日の昼に、もっと上に上げておけば良かったと後悔。誰もいない海のような町、青空に無数のヘリ。異様な光景だったが、この光景を残さないといけないと思い写真をとる。

一人になると、不思議な気持ちになる。自らの意思で留まっているのに、取り残されたような気持ち。そんなときは、カセットコンロでお湯を沸かして焼きそば。食糧はある。

避難所にいる人も、家に残っている人も、すごく不自由をしている。家が傷んだり、なくしたりしている人も多い。自分の場合、町では高いところに家があったのと、震災グッズは一通り用意していたので、普通に近い生活はできる。それも災害時に家族を守りつつ、災害に関する仕事もできるように、と準備してきたからだ。この環境にいて仕事ができるのだから、すべきことをやらねばと思う。たくさんいただいたeメールを読んだり、電話を受けたり、かけたり。

社会福祉協議会に、県外からも複数の災害ボランティアのエキスパートが入り、災害ボランティアセンター設立準備が進んでいる。何をどれくらい、どのルートで届けてもらうか、一部について調整するが、民間は決まるのが早い。

水の量の変化、道路や橋の状況を見ながら、今後、人がボランティア・センターや活動現場に安全に入れるようにするのが今後の課題か。他にもいくつも支援に関するご相談がある。何かしたいという想いと、現場を結びつけなければ、と考えても、どうも頭があまり働かない。でも少なくとも、次のことは少し見えてきた。

水が引き始め、避難所から自宅に戻りだそうとしている石下地区の一部で、近々ボランティアが必要になるので、その受け入れ態勢づくりが急務だ。電気もなく、食事も毛布も足りない街中の避難所が気になるが、今日も行けなかった。明日こそは。水海道は避難所に入らないでいた多くの人が自宅にいたはずで、昨晩急に水に囲まれ、動けなくなっていた。今日のボートなどでの救援で市外や鬼怒川の西にある避難所に行った人は、その方が良かっただろう。うちの家族も、親戚のところに行けて安心した。

家に留まっている人は、トイレの処理で困っているはずだ。そう思って支援物資のリストに加えてもらった。これをなんとか届けたい。

そうこうしているうちに、あっという間に夕方。外を見ると、片方の道はだいぶ水が引いているが、低いところはまだ深い。明日、車で動けたら良いが。ラジオによると、水が低いところに今後も流れるとのこと。そこがどこか、見極めたい。

さすがに昨日あまり寝ていないので今日は早く寝よう。昨日と違い、本当に静かだ。

9月11日 7時時点
2日目の朝です。4時半に防災放送で救援活動のため、4時半から市内の鬼怒川東が停電になる、とのこと。水海道森下町は昨晩22時くらいから停電が続いています。
昨夜もボートが行き来していたので、救援は行われていた様子。今朝5時半、ヘリの音が聞こえます。

今6時45分、防災無線で「市役所が停電し、電話がつながらない。市職も出動できない。電話は 080-2037-1603 か 090-1425-2519へ、とのこと。

家の周囲の写真にあるように、5時間前とそれほど水かさは変わらず。少し下がったようで、わが家の床上浸水はギリギリで防げました。これで仕事に打ち込めます。ただ、会社の車が動くかどうかはわかりません。プリウスでタイヤ半分が埋まっている状況です。このままエンジンをかけていいものか、わかる方がいたら教えてほしいです(これがだめでも、10人乗りワゴン車が生きていれば使えます)。

常総は高い場所が本当にないので、水海道地区の人は、逃げる時間はありましたが、みな車をどうするかで躊躇したと思います。私も守谷とか、つくばに家族を連れだすことも考えましたが、市外に出ると車両規制で戻れなくなると思い、とどまりました。その結果、正に孤島状態になりました。
物置にあるボンベ式発電機か屋上ソーラーの電力が使えれば外には出られませんが、たいていのことはできると信じて。

ラジオで確認しましたが石下の交流センター(ホール)に1,000人くらい避難しているようですが孤立しているようです。
水海道小など同地区の4つの避難所に合計1,000人いるかもしれません。

テレビでも常総市の避難所のことは出てこないし、無線でも、避難所追加の放送はありましたが、今どこが空いているかがわかる情報が得られませんでした。わが家の指定場所と思っていた水海道二高に行ったら、「ここは避難所ではありません、一高へ」の張り紙のみ。なんのための指定か?と思いましたが、鬼怒川に近いからなのか、ここが使えたら森下町やは橋本町の人は来たと思いますが、仕方がないです。2階が大丈夫ならヘリで、殆ど物資がなく狭い避難所に行くよりは、家にまだとどまっていた方が良いのかもしれませんが、判断が難しいです。

常総市のホームページに防災放送などで流れた、いつどこが避難所になったかは時系列で出ていましたが、今そこに何人いるのか、高齢者が行けるところか、何もわからないです。

市役所の下記WEBに出ている交通規制は外からくる方には役に立つかもしれません。
http://www.city.joso.lg.jp/kinkyu/1441901720554.html

ただ、うちの近くの有料橋と豊水橋の間も冠水しているので、冠水場所は要注意です。車で深みにはまると大変なので、車で近づく場合は、目的地まで通れるか確認してからでないと行けないと思います。近くの保健センターの駐車場に、ヘリが来ているようです。

まず、陸路以外で交流センター、水海道小学校、水海道一高、報邦寺、社協のある福祉センターに食料、毛布、下着、タオルなどが届いてほしい(これは私の推測です)。
市役所も含め川の東にある避難所はみな孤立し、停電だとどこも厳しい状況だと思います。

次が病院や福祉施設に留まっている方のところ、家に残っていて動けない人のところには、ボートか何かに載せて配れるとニーズも掴みやすいかと思います。(道路の水かさがどれくらいになったら動けば良いか考え中です。このあたりは水の流れはありません。)

推測ですが、石下地区はかなりの人が避難か救助されたと思います。水海道は、大丈夫だろうと思っていた人が、夜の、「八間堀川(はちけんほりがわ)」からの増水で自宅から動けなくなっている人がかなりいると思います。

これからどうするか、です。

9月11日 2時時点
昨日お知らせしたように、常総市は南北に長く西の鬼怒川と東の小貝川に挟まれた平地です。
昨日朝に石下の北で鬼怒川の右岸より水が堤防を越え、午後1時ごろに石下と水海道の中間にある三坂というところで、突如堤防が決壊しました。それらの水がまず石下地区の鬼怒川から市街地を経て294バイパスのあたりまで広がっていると思います。石下の市街地の石下支所や福祉センターは1階だてなのでかなり水が入ったと思います。石下支所の近くに交流センターがあり、そこに石下周辺の人は多く避難しているようです。ラジオの情報ではぬれたままきて、電気はあるようですが、食料が課題になっているようです。テレビに大きなデパートの屋上が出ていたと思いますが石下のAPITAというデパートで、そこの1階が一時水に浸かったようです。

私は石下から徐々に南の水海道地区に水が来ると考え、いろいろ買ったりしていたら急に家のそばの地区で下水管から水が溢れだし、膝ぐらいになりました。コモンズ常総事務所のまわりもその状態です。

夕方、家族の避難先を避難所も確認しましたが、水海道地区の避難所は既に混んでおり、妻の父母のことも考え自宅に留まることにしました。水海道の森下町地区にはそう判断した人が多いと思います。20時くらいに避難所や市役所の方に行こうとしたら、急に増水し引き返しました。鬼怒川からではなく、鬼怒川と小貝川を結ぶ「八間堀川(はちけんほりがわ)」があふれたらしく、北ではなく南側から水が迫ってきました。

今、家の周りの道路も膝からももくらいの水がたまっています(どちらにも流れていません)。結果として、水海道森下町、橋本町、相野谷町などは中妻、石下と水でつながったと思います。「八間堀川(はちけんほりがわ)」の南側に水海道駅や市役所がありますが、そちらも浸水しているようです。かなりの人が森下地区に取り残されたままになっています。

鬼怒川から東は17時から全域で断水。22時くらいだったと思いますが、突然停電になりました。信号はついています(こういうときはボードがあるといいと思いました)。

個人的には、家の床ギリギリのところまで水が来ているので、2時間くらい浸水対応に追われました。備えはそれなりに役に立ちました。

水海道地区は鬼怒川沿いですが、高い場所にある水海道小、水海道一高など3か所に避難所があります。そのすぐ近くにある福祉センター(社協が入っています)にも、夜になって自衛隊などに救助された方がたくさん入り、100名くらいになって3階建ての各部屋が一杯とのことです。

社協のある避難所で必要なのは、下着です。相野谷地区(北水海道駅の東側)の人は上記の急な増水に合い、1階で胸くらいまで水に浸かった人もいるようです。皆びしょびしょで避難しているので、下着が欲しいそうです。毛布も足りない。水があるそうですが、食料が夕方おにぎりが届けられたほかは何もなく、食に困っているようです。具合が悪い方も少なからずいるので、医療スタッフも必要なようです。

近くにある小学校などは、濡れた人は少ないと思いますが、食料などは不足していると思います(夕方、南から車があまり入っていないので)。

また水海道には、大きい病院としてきぬ医師会病院と水海道さくら病院があり、きぬ医師会病院は「八間堀川(はちけんほりがわ)」の脇にあるので、恐らく1階には水が入ったのではないかと思います。森下町の住宅街にある水海道さくら病院も1階は水が入り、入院患者の方が上の階に避難しているようです。

9月10日 20時時点
自宅のある常総市は鬼怒川沿いなので、いつかこういうことが、と思っていたことが現実のことになりました。
NHKなどが常総市内に入っていないようなので(車が一部入れなくなっています)中からの情報を発信します。

まず見取り図をつくりました。
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常総市は北部の旧石下町と南部の水海道市が合併した6万くらいの市で西部に鬼怒川、東部に小貝川が南北に流れ、その間は田畑が広がっています。川にそって道路や鉄道もあり、見取り図のピンクが旧294、オレンジが294バイパス、鉄道は緑です。
今はいずれも一部しか通れないのではと思います。

私は北水海道駅の近くの自宅にいます。まだ家のまわりは水はきていませんが、歩いて5分のコモンズの常総事務所の付近の道路は下水から水があふれ膝くらい浸水しています。

水海道地区の公共施設は高いところになく、水海道小、水海道一高とそのとなりの報邦寺が避難所ですが、収容人数もすくなく、石下地区で自力で逃げられた人は東のつくばの豊里のJAの避難者か北の方に行ったのではと思います。

水海道小の近くの福祉センターに社協があり、そこの皆さんがこれからボラセン立ち上げに動くと思われます。これから様子を見てきます。

【不安な点】
一つ目
社協や避難所があるところはやや高台ですが鬼怒川には近く、もし今回決壊したところの南でも決壊や越水があると陸の孤島になる可能性はあります。わたしのところもそうですが。

二つ目
移動に関してですが、今のところ、水海道から南への車は流れていそうですが北(中妻、石下)にはいけそうにありません。土浦と坂東をつなぐ国道354が東西をつなぐ動脈ですが、ここが動くかどうかで動かないと孤立します。

三つめ
東部を流れる小貝川です。こちらはまだ橋を通行できるのですが、あとで水かさがまし、29年前の大雨も鬼怒川ではあく小貝川が常総より下流で氾濫しています。明日小貝川の橋が通行止めになると東のつくば方面から入れなくなります。
せめて常磐道の谷和原インターと水海道の間だけでも道路が通れば、常磐道をつかった行き来きができると思います。

四つ目
常総市はブラジル人の方が多く、水海道小も500名の児童のうち1割以上はブラジルの子どもたちです。体育館にもだいぶ避難していますが、まだまだ水海道地区の多くの人(日本人も)は自宅にいます。店はどこもやていません。17時から断水してますが電気は使えます。
急に水が増えたときにどうなるか、みな行き場をなくすのではないか、と心配です。

いろいろご心配の連絡ありがとうござます。現状をお伝えします。