しあわせな未来は、わたしが選ぶ。 共感寄付

参加団体インタビューVol.4第五期「NPO法人神戸の冬を支える会」様

し あ わ せ な 未 来 は 、わ た し が 選 ぶ 。
― 共 感 寄 付 ―

ホームレスは『好きでやっている』―それは間違いです。
人には言わない(言えない)何かしらの事情によって、『仕方なくその状態を選んで』いるんです。

第五期共感寄付が始動して1年半。「もっと多くの方に、各プロジェクトのことを知って欲しい!」との思いから、ひょうごコミュニティ財団のインターンによる取材企画が始まりました。
第4弾は「神戸の冬を支える会」さん。阪神・淡路大震災からホームレス支援を行っている団体です。
理事・觜本郁(はしもと かおる)さんの思いに迫りました。

 

觜本 郁さん( NPO法人神戸の冬を支える会 理事)
阪神・淡路大震災の支援活動の中で生まれたNPO法人神戸の冬を支える会(野宿生活者支援)やNGO神戸外国人救援ネット(外国人支援活動)等の立ち上げに関わり、以降相談・支援活動に従事。社会福祉士、精神保健福祉士。元神戸市職員。

 

きっかけは、阪神・淡路大震災。
―「神戸の冬を支える会」とは?
住居のない方、生活に困窮している方から相談をお聞きし、住居の確保や生活安定のための必要な支援を行う団体です。1995年12月から1996年1月にかけての「神戸・冬の家」の取組みから現在に至るまで、多くの住まいを失った方や生活困窮者への相談・支援活動を展開しています。住居を失い野宿生活を余儀なくされている、いわゆるホームレス状態にある方々や、お金のある時だけ24時間営業のネットカフェに泊まる「ネットカフェ難民」と言われる方など、住居と呼ぶにはふさわしくない住居に住んでおられる方が日本には数多く存在します。住居を失う理由も、失業などの経済的理由だけでなく、家庭内暴力(DV)、児童虐待、服役などさまざまな事情があり千差万別です。そのような方々が安定した生活基盤を整えて、継続して生活し、家を構えられるように必要な支援を行っている団体です。

―活動を始められたきっかけは?
転換点は1995年に起きた阪神・淡路大震災です。あの当時、住民が被災者となり家を失い、公園や学校の校庭などで避難していました。公園には震災前からホームレス状態の方がおられましたが、被災者からも行政からも「ホームレスは公園から出ていけ」と言われる状況がありました。避難所でも「ホームレスの人は出ていってもらう」ということが行政の作った運営マニュアルに書かれていました。震災で家を失った人たちへの支援はあるのに、震災前にたまたま家がなかった人への支援はなされませんでした。それはおかしい、そんなことは許されないのではないかという声が、震災支援に集まっているメンバーの中から起こってきたのです。これが出発点です。
それまでも住居のない方への施策は不十分なものでしたが、それだけでなく、住居がないことを理由に当然受けられる施策が受けられないという差別的な施策が横行しいていたのです。

\共感したら1アクション/

「NPO法人神戸の冬を支える会」を応援する【3Action(スリーアクション)!】
① ウェブサイトを覗いてみる。
現在リニューアル工事中!今後情報を充実していく予定です。
https://kobe-fuyu.org/

 

行政からも被災者からもホームレスは排除される。それでええんやろうか?

―阪神・淡路大震災の当時、予告なくゲリラ的に公園にテントを張られたとか。
震災の直前にも市役所横の公園で凍死した方がおられました。これではいけない、何とかしていこうと住居がない方への支援を始めました。しかし、市役所に働きかけましたが、その反応は極めて悪く、全く前進も何もありませんでした。それで、まず行政の対応を変えていこう、社会にも訴えていこうと、1995年の12月20日に市役所南の東遊園地で行政への予告なしにテントをはり、住むところがなく野宿生活を余儀なくされているかたへの炊き出しなどを始めました。これが「神戸・冬の家」です。
そのときの「あったまろ!考えよう!みんな一緒に」「1人より2人、2人より3人、手をたずさえて春を呼ぶ」とチラシで参加を呼びかけました。
当然、神戸市の職員はすぐにやってきました。そして言われたのが「公園の芝生が傷むではないか」ということでした。神戸市職員はそれくらいの意識だったのです。すると、それを聞いたスタッフで参加していた教会のシスターが「芝生と人の命、どっちが大事なんや」と一喝し、職員は帰っていきました。当初私たちは「テントの設置は昼間のみ、夜間はたたむ」と想定していましたが、予想以上に大勢の人たちが集まり、彼らからの要望もあって、夜も泊まることができる常設テントになり、数も増えていきました。
その当時、住居がないと生活保護を適用しないという違法な運用は全国的に行われていました。とりわけ神戸市の野宿生活者への扱いがひどすぎました。あるとき、それを神戸市役所のベテラン係長にこんなことはおかしいのではと聞いてみたことがあります。すると「そんなもんや、支援してもきりがない」と返事が返ってきました。固定観念に囚われてしまって、法律上できるのにしない。制度があるけど市としての施策がないという有様でした。そのため現状を変えようと、「神戸・冬の家」に集まっていた日値たちと一緒にテント内でワークショップを行い、当事者の声や要望をまとめて、神戸市に対し、要望書として提出しました。そして「要求が通らんのなら、テントはたたむことはできません」と訴え、何度か協議を重ねた結果、要求がほぼ通り、翌1996年1月15日にテントを撤収できるようになりました。最初はこのように神戸市と対立する形で活動が始まりましたが、それから徐々に神戸市の施策が見直されていき、現在、神戸の冬を支える会は生活困窮者自立支援法に基づく一時生活支援事業(住居のない方が次に生活できるところを確保するまでの宿泊や食事などを提供する事業)などを受託し、市と様々な協働を行っています。

\共感したら1アクション/

「NPO法人神戸の冬を支える会」を応援する【3Action(スリーアクション)!】
② 自分に何ができるか、思いを馳せてみる。
例えば、炊き出しや夜回り活動のお手伝いをしてみたいと思ったら。
少し勇気がいるかもしれませんが、ぜひ事務局の方へ相談してみてください。
あなたの特技を意外な形で活かせる機会があるかもしれません。

 

―炊き出し・相談支援・夜回りが活動の三本柱。
支える会の相談窓口は、神戸と姫路にある事務所で行っていますが、それ以外にも、土曜日には炊き出し会場の小野浜公園に相談テントを出して、様々な相談に乗っています。また、武庫川河川敷など現場に出向くこともあります。
小野浜公園で週3回(火木土)行われる炊き出しにはホームレス状態の方や生活が厳しい方、以前当団体の支援を受けた方など、たくさんの人がいらっしゃいます。私たちの支援を受けて住宅に入居し、生活保護の受給ができるようになる方も多いのですが、その新しい生活の場では交流が少なく孤立することも多いですし、住居を確保できたから問題解決というわけではありません。様々な問題を抱えた方の相談を継続して受け、その解決のために力になるということが重要だと考えています。この炊き出しの場が情報提供や交流の場となっています。
また、路上で生活している方のところに訪問し声をかけ安否を確認し、炊き出しなどの情報提供をしたり、軽食を提供する「夜回り」の活動も神戸の冬を支える会と協力関係のある団体が定期的に行っており、相談支援活動は、それらの活動との連携でより有効な形になります。まずは必要な情報を提供すること、信頼感を醸成することを日々心掛けています。長年、相談を頑なに拒否していたのに、ある日「相談をしたい」と言ってこられる方もいますので、今後も炊き出しや夜回りと連携した相談支援活動を継続してを行っていきます。

―今回の共感寄付ではどのような活動を?
行政からの委託事業による費用のみでは必要な活動費用をまかなえないのが実態です。相談支援活動はやはりマンパワーが基本です。そのスタッフの人件費の確保は頭の痛い問題ですが、費用が足りないからやりませんということには絶対になりません。十分な支援活動を行うためには、強く熱い思いとともに十分な資金源が必要となります。
社会を支える活動として、共感していただける方のご支援で継続していきたいです。

 

公園に寝ている人だけがホームレスではない
―日本社会の、ホームレスに対する意識について思うことは。
ホームレス状態に陥る方は、1990年代初めのバブル景気の終わりとともに増加してきました。厚生労働省のホームレスの実態調査が出ていますが、それが住居のない方の実態を表しているかというと決してそうではありません。ホームレスといえば、公園で寝ている人との印象が強いですが、それだけではないのです。ネットカフェなどに寝泊りをする方もいます。そういった方は厚生労働省の統計には含まれません。近年ホームレス状態に陥る典型例は、派遣労働者として雇われ、何らかの理由で退職すると、同時に寮も追われてホームレスになってしまうというものです。また、DVや虐待などの問題から家を追われる方もいます。家を失う理由は人それぞれで、一人ひとり違う事情があります。それぞれの状況を理解し、ニーズに合った支援策が求められます。
日本では「なぜホームレスを支援するのか。自己責任だ」とか「好きでしているのだろう」という偏見もまだまだ存在しているのが現状です。このような社会の偏見はなくしていかねばなりません。阪神・淡路大震災で生活基盤を失った被災者が自力で生活を再建することがいかに困難かは「被災者生活再建支援法」制定運動の中でも訴えられたことです。これはホームレス問題にも共通の問題です。

―活動の拡大とともに新たな側面が見えてきた?
近年、刑務所からの釈放者に関する支援要請が多くなっています。相談全体の3割近くになります。刑期満了を迎えて出所しても帰る家がない。服役で罪を償ったはずなのに、また社会から辛い扱いを受ける状態に陥ってしまいます。満期釈放者は毎年おおよそ1万人で、その約40%が適切の帰住先がないまま満期釈放となっている実態があります。その中からは、釈放後にホームレス生活を送る方も多くおられると思われます。食事もままならない中、再度万引きなどの犯罪を犯して、再度刑務所に戻ってしまうという例も見られます。
ここで、最近支援した60歳代後半の男性の例をご紹介します。何度も万引きなどで逮捕―服役、満期釈放、野宿生活、また万引、服役を約40年繰り返し、前科17犯、満期釈放されても安定した住居のないままの生活を送るなかでまた逮捕ということを繰り返してきたのです。しかし、担当した国選弁護人の方が、神戸の冬を支える会に支援の要請をしてこられ、ご本人と面談する中で、運よく起訴猶予での釈放後は神戸の冬を支える会の支援で住居を確保し、生活保護申請を行い、今では安定した生活を送っておられます。この方は住居がない自分が生活保護などの福祉制度を利用できるとは考えていなかったのです。ほんの少しの支援、相談につながることがいかに重要かがわかります。

守る体制や必要な支援があれば立ち直りは可能であり人権が守られます。偏見をもって「どうせだめだろう」と決めつけるのではなく、必要な支援は何かを考えることが重要なのです。問題は負のサイクルを提供し続ける日本社会の方です。

 

 

―長年の活動を通じて、今思うことは。
震災後の立ち上げから、はや20年以上経過しました。様々な制度が法制化され、あの頃とは隔世の感があります。しかし、幾分かは“まし”になってはきましたが、未だ自治体によって対応の格差が大きいままです。自治体の対応がよくなり、ホームレス状態を脱しやすくなったとしても、サポート後の対応まではなされていないのが実態です。継続的なサポートの必要性と重要性を強く感じていますし、まだほとんど手付かずの課題も多くあります。

―最後に、この記事を読んでくださっている方へ。
「まさか自分が」。家を失った人はそのように言います。家を失うということは、誰にでも起こることであって、決して他人事ではありません。ホームレス状態に陥る裏には本人の努力だけでは解決しえないような社会の状況があることを理解してほしいです。この現状を「ホームレスになったのは本人の努力が足りない」などという自己責任論だけで片付けないでほしいのです。それを生んでいるのは私たちの社会なのだということを理解していただきたいと思います。長年の地道な活動が徐々に形になってきています。応援していただければとても嬉しいです。

\共感したら1アクション/

「NPO法人神戸の冬を支える会」を応援する【3Action(スリーアクション)!】
③ 共感寄付に参加してみる
【5-A】ホームレス状態、安定した住居がない方への支援活動
https://hyogo.communityfund.jp/kyokan/project/7-a/

 

取材:(公財)ひょうごコミュニティ財団インターン 柳瀬、西村

記事の内容は2019年7月時点のものです。

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